学生エッセイコンテスト 2021年度 結果発表

川原会長 総評

日本CM協会設立20周年を記念して開催したCM(コンストラクションマネジメント)の学生エッセイコンテストは、応募総数38件を数え盛況のうちに締め切りを迎えました。

驚きだったのはそのエッセイの質の高さです。38件すべてのエッセイが、明確な論旨をもって書き込まれており、審査員全員が選考に苦慮するという嬉しい結果になりました。また多くの学生の文章から、独自の視点や比喩表現を擁しながらCMの世界を解明しようとする真摯な姿勢がひしひしと伝わってきます。CMに対する学生の理解が、私たちの想像を超えて拡がっている、という期待感を抱くまでにいたりました。

今回のコンテストで学生の皆様からいただいた様々な形のメッセージを、日本CM協会としても、未来にしっかりつなげていきたいと思います。

応募いただいた学生の皆様、本当にありがとうございました。

一般社団法人日本コンストラクション・マネジメント協会 会長 川原 秀仁

日本コンストラクション・マネジメント協会 会長 川原 秀仁

受賞者

日本CM協会20周年事業 学生エッセイコンテスト 応募エッセイ

マージナルマンとしてのCMr

東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士1年 沖本大樹

マージナルマンと呼ばれる人がいる。たとえば移民がそうだ。なぜなら彼らは、足を踏み入れた新しい文化と家族や移民同士の間に引き継ぐ元々の文化との間の、不安定な環境に身を置くことになるからだ。このように、移民に限らず複数の文化や社会、環境の間でマージナルな状態にある人々を社会学の言葉でマージナルマンと呼ぶ。 しかし一方で社会学者のロバート・E・パークは、「マージナルマンの心の中を覗くことで初めて、われわれは、文明化と進歩の過程を最も良く十分に研究することができる」注)とポジティブに述べている。それはいずれにおいてもマージナルな彼らが、複数の文化や環境を客観視できる存在であることに着目し、単一な所で生きる人々が獲得し難い価値観や視座を身に着けやすいということを説明するものだ。それを示す典型例として、欧米におけるユダヤ系知識人の活躍が一般に知られている。 それを知ってからというもの、僕はCMrはマージナルマンなのではないかと思うようになった。なぜならCMrは、常にマージナルな環境に置かれるからである。CMrは、あらゆる立場のクライアントと緊密な関係を築きつつも建築業界に身を置く専門家でなければならないだろうし、建築の専門家でありながら、法律や不動産、金融などの幅広い見識も求められるだろう。またクライアントが抱える個別の課題解決に取り組んだり、その先の戦略を立てたりと、業務内容にも決まった枠が無いように思う。だからCMrはあらゆる点で常にマージナルな環境に置かれており、その上で自らの立ち位置を確立して活躍するのだから、マージナルマンと呼べると僕は思う。 また、実はこの夏、就職活動の一環で志望する企業のCM職のインターンに参加した。このエッセイはそこでの経験を基にしている訳であるが、その時にとても印象的な言葉を聞くことができた。それは、『CMがいなくても建築は建ってしまうのに、「あなたがいてくれて助かった と言って貰えたことが嬉しかった』という若手CMrの方の言葉である。これはまさしくCMrがマージナルマンであることの証明だと僕は思った。建築プロジェクトにおいて決して不可欠ではないCMという仕事の中で、どこに自分の存在を見出し、価値を発揮できるのか、マージナルな環境で苦心するからこそ、CMrはクライアントに感謝して頂けるのではないだろうか。マージナルマンとしてのCMrこそ、目指すべき姿なのだろうと僕は確信している。

注)ロバート・E・パーク著、町村敬志・好井裕明訳、「実験室としての都市 パーク社会学論文選」、御茶の水書房、1986

環境工学を専攻する私がCMrを目指した理由と今後の目標

東京工業大学 環境・社会理工学院 建築学系 都市・環境学コース 修士2年 根本悠太

私は現在、環境工学を専攻している。そして来年度からCMを行う企業で働く予定である。私の専攻分野からは設備設計職への就職が大半を占め、CMrという職種を選択する学生は少数派だ。それでもなぜ私がCMrになることを選んだか、それはマネジメントを通じてクライアントと共に「環境にやさしくあり続ける建築や企業」を作りたいと考えたためである。

近年、環境意識の高まりとともに「環境建築」への期待は高まっている。実際に数多くの技術が研究・開発され、建築に実装されている。それは建物のランニングコストを抑え、環境意識の高い株主・顧客からの支持を得ることに一役買い、建物所有者の利益の増加に繋がるであろう。このことは、発注者である企業や研究者、設計者にとっては思惑通りであり、大変素晴らしいことだと思う。

しかし、ふと思うことがある。環境技術により抑えたコストと環境に配慮した企業であることを売りにして得た利益はどこに還元されているのだろうか。環境に配慮したビジネスに投資されていれば良いが、そうとも限らないのではないか。だとすれば、そのような企業やその建築は真に環境にやさしいといえるのだろうか。一介の学生の大それた考えであることは重々承知だが、将来はこれを変えていきたいと思った。しかし、就職先として王道の「設備設計職では業務範囲が少し狭く、それが実現できるかは分からない・・・そんな折に、CMrという職業を知った。CMrの関わるフェーズは幅広い。クライアントの右腕となり、企画から運用まで長期に渡って関わるプロジェクトもあると聞く。この職種であればクライアントと協働しながら「真に環境にやさしくあり続ける建築や企業を作れるのではないかと思い、私はCMrになることを選んだ。

ここまで威勢よく述べたのは良いものの、私は所詮未熟な学生。思いを実現するために将来どのような仕事をすべきか、具体的なイメージはまだできていない。ただおぼろげに、CMrとして環境工学の知識を活かしつつ、「クライアントが自身と環境にとって最良の選択をするための手助けを企業経営に踏み込みながら行いたいと考えている。そのような仕事は業務の幅が大きな広がりを見せている現在のCM業界だからこそ目指せると思う。そして最終的には、CM業界が成熟期を迎えたときに、CM業務の中に「経営×環境のマネジメントが重要な要素として含まれることを目指して来年度から精力的に働いていきたい。

建築の未来とCM

芝浦工業大学大学院 理工学研究科 建設工学専攻 修士2年 吉田舜

建築事業における関係者を考えた際、真っ先に浮かぶのが「つくり手(設計者や施工者等)」と「つかい手(事業主・ユーザー等)」である。しかし、現在の社会において、特定の建物をつくってつかうという単一の目的のために建設プロジェクトは行われず、建築に多種多様な役割が求められる。長く使われ続ける、持続可能な建築を生み出すためには、つくり手でもつかい手でも解決できない問題が潜んでいる。その中で、第三者的役割として「CMr」が重要であると強く思う。また、社会の複雑化に伴い建築も複雑化しており、様々な関係者が登場することが多くなってきている。その中で、様々な関係者同士を束ね、互いの利害関係を取り持つために、CMrがプロジェクトに参加する意義があると感じる。

また、建設プロジェクトに第三者的立ち位置として、CMrが加わることで、つかい手がより積極的にプロジェクトに参画できるようになり、つかい手に歩み寄った建築プロセスを歩むことが可能になるのではないかと思う。情報化が進んだ現在の社会において、建設産業においてもつかい手(事業主や施主、利用者など)のイニシアティブが高まってきている。つくり手がつかい手に歩み寄り、つかい手とともに建築の価値創発を行う必要があると考える。私は現在、設計者としてつかい手に歩み寄り、つかい手とともに建築プロジェクトを進めていく方法を研究している。しかし、設計者のみならず、第三者的立ち位置としてCMrがプロジェクトに参画することで、より高度につかい手と協働した建築プロセスを歩みことができると考える。つかい手を企画段階から積極的に参画し、竣工後の維持管理や運営段階にも建築の専門的知識を有するつくり手が参画することで、建築の価値向上につながるだけでなく、永く使われ続ける建築の持続可能性を高めることができるのではないか。CMという領域がこれからの日本の建築の持続可能性、さらには建築による社会問題の解決という建築業界の役割を全うするうえで欠かせない存在になると思う。

建築設計を学ぶ私から見たCMの存在

芝浦工業大学大学院 理工学研究科 建設工学専攻 修士2年 井出岳

コンストラクション・マネジャーのCM動画を拝見させて頂き、CMに対して建築プロセスを円滑に進めるための運営者であり、管理者であると印象を受けた。建築業界は、これまで建築プロセスにおいては、専門知識を有する技術者だけに閉ざされた業界であった。しかし、現在は建築プロセスに様々なステークホルダーが参画し建築の価値向上を目指している。異業種・異分野・技術者・素人など様々な人たちと建築を作り上げていく上で、建築プロセスに秩序を作り、方向性を定め運営してくことがCMの役割なのだと感じた。また、自身の経験からマネジメントを行う上では、他者の技術力や経験・思考の傾向などを認識している必要があると考える。その為包括的な知識・技術を有しており、他者の意図をつぶさに感じ取れる人でないとCMrにはなれないのではと感じた。どのような経験を積むことでCMrの技術を身に着けられるのだろうか。

CM方式がもたらす建築生産の未来は、建築の拡張だと思う。異業種・異分野の繋ぎ役として活躍しているCMだからこそ、建築業界の中で留まらない建築の拡張が実現できるのではないだろうか。今日建築業界に、新たな分野としてパラメトリックデザインなどのデジタル技術が浸透してきた。建築情報学会の設立などが最たるものだ。これまでの閉ざされた建築業界から異分野を取り入れた開かれた業界に変化しつつある。このような状況だからこそ、CM方式では建築プロセスの中に異業種・異分野が参画する余地を作り、建築の存在自体を多角・多面・多元的に捉えることで建築生産の可能性を見出せるのではないか。もし私自身がCMrになったら、当たり前を疑えるような存在でありたいと思う。施主・設計者・施工者etcそれぞれで建築に対する当たり前は異なる。施主と建築関係者の建築に求める当たり前は大きく異なる。さらに今後建築業はBIMの開発やXRの存在などにより大きく変化し続けると思う。その為、マネジメントの段階で固定概念に捕らわれ価値の損失を起こさない為にも当たり前を疑いCMr自身が社会の変化に敏感でありたいと思う。

CMは「ぜんぽう良し」だ

神戸大学大学院 工学研究科 建築学専攻 修士1年 後藤直樹

私は先輩がコンストラクションマネジメント(C M)の会社で勤務していることからCMに興味をもち、C Mは発注者に寄り添い建設プロジェクトをマネジメントする仕事であると知りました。調べていく中で、私は近江商人の「三方良し」という言葉を用いてCMは「ぜんぽう良し」であると思いました。

私がそう思った理由は、C Mが建設プロジェクトに関わる発注者、設計者、施工者、利用者などの全員に対して貢献できるからです。まず発注者に対してはパートナーとして建設プロジェクトをサポートすることで貢献します。次に設計者や施工者などの技術者に対しては建築の幅広い知識を持つコンストラクションマネージャー(CMr)が各技術者の持つ最大限の能力を引き出せるような技術提案によって貢献します。そして、C Mによって最適に建物が建設されることで、利用者はより快適に建物を使用できるでしょう。このようにC Mは全方面に対して貢献できるので「全方良し」だと思いました。

さらにもう一つの理由はC Mが関わることが建築、ひいては社会の未来を明るくすると考えるからです。現在、建設プロジェクトは高度かつ複雑になってきておりますが、これを適切にマネジメントすることができれば必要に応じた最適な建物を建てることができ、将来的にも多様化する建設プロジェクトに対応していくことが可能です。また、建物の用途に合った機能を最大限に引き出す提案をすることで、発注者のビジネスを加速させることできます。そうなれば建物を必要とする様々な業界の成長を後押しでき、社会発展へと繋がると思います。これらのようにC Mは建築の未来、社会の未来ともに明るくするということで「前方良し」だと思いました。

以上のように、C Mというのは関係者全員に利益を生み出すという意味での「全方良し」とC Mが建築、社会の未来をより明るくしていくだろうという意味での「前方良し」、この二つの意味を兼ね備えた「ぜんぽう良し」であることを感じました。このような役割をなすことができるのは、建築が社会に大きな影響を与えるものであるだけでなく、第三者的な立場から建築の専門家として知識が豊富なCMrが適切にサポートをしているからだと思います。もし私がCMrになったとしたら、相手の立場で考えるということを重視することで「全方良し」を実現し、その結果として「前方良し」を叶えたいと思います。

コンストラクションマネジメトとソーシャルワークの共通点

武蔵野大学 人間科学部 社会福祉学科 3年 佐藤役

「コンストラクションマネジメントのエッセイ書かなきゃ~」という友人の一言から私はこのエッセイコンテストに行きついた。私は社会福祉学科に属する学生であり建築に関しては全くといっていいほど知識を持ち合わせていない。コンストラクションマネジメント(以下SW)なんて言葉をその時まで聞いたことはなかったし、勿論どのような仕事なのかも皆目見当がつかない。それでも私がこのエッセイコンテストに参加しようと考えたのは、それだけ何気なく友人と視聴したCMの動画から感じたことがあったからである。

CMなんて自分の人生において全く関係ないだろうし、これっきりだと思って視聴し始めた動画だったが、意外にも私の専攻するソーシャルワーク(以下SW)との共通点をいくつも見出すことができた。まず1点目は個人をサポートする専門的な細やかな視点と事業を大きく捉える視点が必要であることだ。SWの世界にはミクロ・メゾ・マクロという考え方があり、課題を抱えている個人だけでなくその当事者を取り巻く環境そのものに目を向けなければならない。個別の介入に加えて全体を俯瞰した考え方が必要なのである。これは、CMの仕事にも言えることなのではないだろうか。2点目は決まったアプローチや1つの正解がないという点である。SWにおいても1つの課題に取り組む際に正解はなく、ワーカーの数だけアプローチの仕方がある。つまり決まったセオリーはなく自分の考える最善の方法を模索しなければならない。自分なりの答えを導き出すために常に考え続けることが2つの職業の難しさであり、やりがいなのではないだろうか。最後は他人の強みを引き出し、弱みを補完し合う仕組みを考え、その手伝いを行う点である。これをSWの世界ではエンパワメントと呼んでいる。課題を抱えている当事者の強みを引き出すことで解決への糸口とし、その手助けをするのがSWなのである。両職業とも他者の力を引き出し歯車全体がうまく回るよう働きかける存在といえるだろう。

僅か7分程度の動画であったが、CMとSWとの共通点を多く見出し、SWとは大局的に見ればマネジメントであるということに気づかされた。しかし一方で3年間学んでいたにも関わらず今頃気づかされた自分を情けなく感じ、まだまだ未熟であると猛省するきっかけとなった。これほどまでに学びの機会を与えてくれた友人に感謝し、このエッセイを終わりとしたい。