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CM導入にいたる歴史

第二次大戦中の米国におけるマンハッタン計画や戦後のアポロ計画は、プロジェクトをマネジメントの対象とするプロジェクト・マネジメント(PM)の有用性を明らかにしました。そのためすぐに、PMは手法として確立されていきます。

1960年代には、PM手法は建設プロジェクトにおいてもCM方式として応用されるようになりました。

1970年代になると、米国では民間建設工事にCM方式が定着していきます。日本では、高度経済成長期を迎え、建築においてもそれまでの職人主体の建築生産からプレファブ部材や工法へ、あるいは生産の分業化など工業化の波が押し寄せる状況でCM方式への関心が一時的に高まりました。

しかし、当時の米国のCMは契約のマネジメントの側面も強く、設計でも施工でもないCMという独自の職能への抵抗感から、CMは日本の契約慣行になじまないという考え方が主流となっていたようです。

しかし、1980年代、日本がバブル期を迎えると急激に大型化、複雑化した建設プロジェクトに効率的に対応していくためにCM方式への関心が再び高まります。

そして1990年代はじめになると、巨額の貿易赤字を抱える米国から、建設市場参入のための強い圧力がかかります。その1つとして日本政府にもCM方式導入が迫られ、1995年には、日本政府は建設産業政策大綱においてCM方式の導入検討を言及することとなります。

一方で、設計事務所やゼネコンは、バブル期以前よりCM方式の研究を進めていましたが、1990年代後半、バブル崩壊後の社会経済の姿が見え始めたころから、外資系プロジェクトや民間プロジェクトを対象に実際にCMに取り組む企業が生まれてきます。

CMの導入には主に米国からの外圧が大きな役割を果たしました。しかし、日本の契約慣行や建設生産構造に合わせた日本型のCM方式を短期間で準備し、円滑な導入を実現した陰には、1970年代から継続的に米国での動向に着目してきた歴史があることも忘れるべきではないでしょう。

CMの沿革
CMrオピニオン

CMrにとってAIは敵か味方か

株式会社山下PMC
大阪事務所長
杉本 憲祐

株式会社山下PMC 大阪事務所長 杉本 憲祐AIと聞くと便利なツールと感じる人もいれば、CMrの存続に脅威と感じる人もいるかも知れません。そこでAIの普及により予想されるCM業務の未来を、当のAIに聞いてみました。すると、今後は定型的で単純な業務がAIにより自動化され「管理業務の減少」が進む一方、AIでは代替できない価値判断が必要とされるようになる、そしてCM業務の役割は「戦略的マネジメント」へとシフトしていき、CMrは人間にしかできない高度な判断・調整・創造的業務に専念する時代が到来する、との回答でした。

なかなかシビアな回答でしたが重要なのは、AIを脅威ではなく強力なパートナーとして捉えれば、自身の専門性を深化させることができるという点だと思います。

完全オーダーメイドの建設業界は、他産業と比べてDX推進や合理化が進みにくく、人材不足や高コスト体質はなかなか解消しない状態が続きそうです。しかし、CM業務はAIに侵食されやすい部分があるとはいえ、逆に言うと恩恵を受けやすい業態でもあり、今後の建設業界を変えていき好循環を促す良いポジションにあると言えるかもしれません。

CMrは建設産業の「頭脳」として機能すべき重要な役割を担っています。しかし現状ではまだCM業務の普及や法の整備も発展途上で、本来のポテンシャルをまだまだ発揮できていない側面もあります。

人手不足・働き方改革・DX推進といった外部圧力が、否応なく業界を変えている今が変革の好機です。この波に乗り、CMrが刻々と成長するAIを味方につけ、真にプロフェッショナルとして認められる環境を作ることが、CM業界の発展、さらには建設業界全体の発展につながるのではないでしょうか。と、AIも言っていました(笑)。

CMrオピニオン

自分の考えるCMrとは

日建設計コンストラクション・マネジメント株式会社田中 淳

日建設計コンストラクション・マネジメント株式会社 田中 淳自分は大学卒業後、設計事務所にて意匠設計に18年間、ディベロッパーにて不動産開発に2年間従事し、2019年より現職に就いている。CMrとしては今年で8年目を迎えるにあたり、改めて「CMrの仕事とは何か」を考えてみたい。 C M  自分は大学卒業後、設計事務所にて意匠設計に18年間、ディベロッパーにて不動産開発に2年間従事し、2019年より現職に就いている。CMrとしては今年で8年目を迎えるにあたり、改めて「CMrの仕事とは何か」を考えてみたい。

CMrとして従事するにあたり、弊社は「四方よし」を理念として掲げている。これは、近江商人の「三方よし」に「働き手よし」を加えた独自の考え方である。顧客(得意先)、仕入先、社会(世間・株主)、そして自社の従業員(働き手)という四者すべてに良い影響を与える事業活動を通じて、社会課題の解決と企業価値の向上を目指す姿勢を示している。

設計事務所で働いていた当時は、経済的な社会構造により「一方よし」とでも呼ぶべき状態と感じていたが、昨今の社会構造では、供給過多や働き手不足などにより経済活動の在り方は一変、買い手市場とも呼べる状況とも思える。そのため、「四方よし」の考えは時代にも即していると感じている。

そのうえで、「自分なりのCMrとしての色」を考えた結果、「姿の見えないCMr」というイメージに行き着いた。自分としては消極的な発想ではなく、「積極的な受け身」として前向きに捉えている。

プロジェクトを推進していく過程では、さまざまな課題が生じる。マネジメント会社としては「課題を解決していく」と言いたいところだが、実際に解決をするのは「三方」の皆さまである。では、CMrである自分は何をするのか。表舞台で主役を張ることはなく、裏方に徹し、「三方」が気持ちよく仕事に集中できる環境を整えること。ひたすら壁打ちの相手となり、対話を重ねていく中で課題解決に向けて導いていくことが、CMrのあるべき姿であり、結果的に「四方よし」に繋がるのではないかと考えている。

プロジェクトレポート

projectバンヤンツリー東山・京都プロジェクト

規制だらけの敷地課題をクリアし、
京都の魅力を発信する初進出ブランドのホテルを実現

  • ポイント1 発想の転換でネガティブな条件からも付加価値を創出し、事業収益性を向上
  • ポイント2 CMrとホテルPMの一体推進により、事業者と運営者の双方に踏み込んだ支援
佐藤 智香
  • 株式会社山下PMC管理統括本部 経営戦略本部 知財・AI開発部
    チーフプロジェクトマネジャー
    佐藤 智香

テーマ1発注者がCMrに求めたことは?

 計画地の霊山地区は、京都を代表する観光名所である東山の山麓にあり、市街地を一望できる絶好のロケーションに位置している。同時に、周辺には高台寺・八坂神社・清水寺などの歴史的建築物が点在しており、京都の景観形成上も重要なエリアとなっているため、美観地区、風致地区等の開発上の厳しい各種制限がある開発難易度の高い土地であった。また、敷地の一部は土砂災害特別警戒区域にも指定されており、開発行為への慎重な対応が求められた。計画するホテルは、独創的なデザインと高品質のサービスで、ハイエンド層をターゲットとしたラグジュアリーブランドとして世界に展開していたが、日本では初進出の案件であった。
 プロジェクトの成功に向けて事業者から、①東山の懐、高台寺に近接する計画地の事業ポテンシャルを最大限に引き出すこと、②魅力ある商品企画により事業性を高めること、③霊的な土地の開発に対する理解と、厳しい法令制限の解決を得ること、④日本初進出の外資系ブランドを円滑に導入すること、が求められた。特に、事業者と運営者の意思決定のタイミングとクリティカルパスが異なるため、双方の要求を統合したマネジメントが不可欠であった。